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由緒

古来より正八幡宮の御神徳は、文化をみちびく勝運の神としてあらたかであった。爾来文化のみならず、地上に生きとし生ける私たちの平安と幸福をみちびく神 として信仰されている。又「母子神」としても崇敬され、親の限りない慈しみをもって、我子に正しく強い心を合わせもつようにと初宮詣を始め、厄除招福、家 内安全、交通安全を「みちびく神」として霊験あらたかな神さまである。
当宮の主祭神は応神天皇、配神には神功皇后、比売大神が祀られている。縁起由緒は古く、貞観2(860)年に国司の一人であった従五位上行豊前守文屋真人益善が宇佐宮の託宣に依り神社を建立し、奉載されたのが正八幡宮の起源である。
以来、宿願達成を願う人々の崇敬は篤く、中でも南朝後期の正平22(1367)年、菊地武重朝臣は苅田浦滞陣の際に自ら参拝され、戦捷(戦いに勝つこと) を祈願し満願成就された。又北朝後期の応安7(1374)年3月、征西大将軍が小倉に滞陣中、御参代として名和伯耆守長秋が遣わされ御神前に純金銘入りの 御神刀を奉納して戦捷を祈願しており、その御神刀は現在も神納されている。
江戸初期の慶長6(1601)年、藩主細川忠興は領内安堵の為に参拝祈願され、旧大橋の神田に社領地を寄進。次いで元和2(1616)年に祈願成就の報賽 として御神鏡を一面奉納された。そして、当宮がこの神田の地に移設鎮座されたのが寛永元(1624)年の春である。その後は益々近郷近在の氏神様として御 神徳を広めていった。藩主小笠原忠真が寛永9(1632)年に当宮を御参拝された折には縁起を御一覧され、格別を以て旧仲津郡の大社正八幡大神宮と崇め て、此の郡中に事ある毎に祭儀を盛大に奉仕された。
江戸中期以降は平和な時代風潮にのって当宮も殷賑を極め、宝暦11(1761)年に藩主伊豫守忠総より神輿二躰の御奉納があり、当時の放生会の渡御に使用 され祭は一段と賑やかに斎行された。(現在もこの神輿は5月の神幸祭に渡御されている)
江戸末期の寛政3(1791)年に郡内で旱魃悪疫が流行した際、藩主忠苗は諸人と共に数日間参籠して豊前六郡の為に祈願された。その甲斐あって成就の折 には、白銀22枚と拝殿を造営、御奉納して感謝の誠を表した。当時の旧社殿は昭和12(1937)年までその面影を残していたが、翌年の昭和 13(1938)年には老朽化に伴って御社殿が新築された。
現在の佇まいは平成10(1998)年に、御遷座350年記念事業として氏子崇敬者各位の赤誠により、御社の御屋根葺き替え・社務所新築等の御造営がなされて今に至っている。
この様に当宮は古来より願いを「みちびく勝運の神」として、此の郷はもとより豊前一円に広く崇敬され信仰を深めている。
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